こんばんは。
今回は、敬意の強制と傲慢さの繋がりについて考えてみたいと思います。
敬意の強制、傲慢さが異なる?
Twitterで、とある専攻医が私に対して返したリプライに記載したそのままの文です。
そもそもですが、敬意の強制と傲慢さは本質的に異なるのでしょうか?
私自身、ありえないと思い、今回心理学的側面から考えていきたいと思い、調べてみました。
心理学的側面からの考察
すると…
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kantoh1988/1996/9/1996_9_199/_pdf
こちらです。
少しみてみると、僅かに気になる記載が…。
黄色🟨の線にあるように、そもそも敬意というものは、『優位者のある特定の役割の特有性ゆえに役割に対して抱かれるものではなく、個々の諸役割の結合した複合体としての優位者の存在そのものに対して抱かれるもの』であると、記載されています。
となると、そもそも医師の大半が、求めている敬意は、他の医療関係者が自発的に感じられる敬意ではなく、半ば医師たちからの無理強いにより、仕方なく敬意を払っているという事になります。
それだけではありません。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsre1993/12/2/12_2_43/_pdf
こちらにも気になる記載がありました。
敬意の強制が起こりうるのは、他者の軽視から起きるものだという事です。しかも、無意識のうちにやってしまっているので、医師は気づいていません。
傲慢さを心理学的側面から見るとどうでしょうか?
こちらに記載されているように、自分の能力という内なるもので成功したことで、自分は偉大なんだという気持ちより、傲慢さが形成されるということがわかります。
という事は、敬意の強制は、ある意味医師たちによる無意識のうちに形成された傲慢さによるものだと結論付けることができます。
敬意の強制や傲慢さをなくすために。
医師以外の他の医療関係者の皆様にも是非考えて頂きたいのは、医師に対して、必要以上、顔色を窺うことをやめ、自身の考えなどを、医師に対してどんどんいう事をして頂きたい。
医師に対して、顔色を窺うばかりでは、なんのために現場にいるのかわかりません。
対等に話ができる立ち位置を形成する努力をしなければ、舐められるだけです。
後、医師に対して書いていきたい。
言い方が悪いかもしれませんが、私は医師に対してさほど敬意は持ち合わせていません。
それは、医師とは名ばかりの方々などとお会いした経験がありますし、実際、薬剤師が力を持ち、医師に頭を下げられるようになった実例を知っています。
これらに言えるのは、行き過ぎた敬意と顔色だけを窺うのは、意味のない行為であり、医師に対してはっきりした態度を取ることが、対等な立ち位置になると考えています。
そうすれば、敬意の強制や傲慢さを駆逐することができますし、医師の態度がかわり、向き合う努力をするようになります。
医師も、自身の仕事に対して誇りを持ち、働けるようになれば、敬意の強制も、傲慢さもなくなるはずです。
医師、他の医療関係者の方々それぞれが、向き合い方を変えるだけではないでしょうか?
皆さんの考えをお寄せ下さい!