こんばんは。
今日は、少し、勤務後に少し問題が発生したことがあり、その事を通して、医療に真剣に向き合う事の意味を考えてみたいです。
勤務時間外に起きた緊急事案
5時過ぎて、帰宅の後、私は、自身のしないといけない事の関係で外出していました。
その後、帰宅した時に、母である局長が、部屋で悩んでいるのを見かけました。
聞いてみると、病棟の患者さんが、腹痛を訴えていると。痛みが強く我慢の域を超えているとのこと。
夜勤の看護師も困り顔になっているのが、容易に目に浮かんできました。
その時に話に出てきたのが、ソセゴンでした。
ソセゴンがない。痛みが引かないまま亡くなりでもしたら…
ただ、以前持ち合わせていたソセゴンも、患者の層が変わり不要になり、在庫切れを起こしていました。
ただ、我慢の域を超えた腹痛が、たかだかNSAIDsで止まるとは考えられません。
このままでは、痛みが引かないまま亡くなりでもしたら…と二人してネガティブなことを考えていました。
そうこうしていても埒が明かないため、局長が病院へ。
私は、🏠に残されたので、調査を続けていました。
ブスコパンの注射💉があったからなんとかなった…
ソセゴンがなく、やばいってなっていましたが、無事、ブスコパンがありましたので、なんとかなりました。明日、患者さんの様子など、夜勤明けの看護師さんにお願いして聞いてみようと思います。
今回の件を見て、聞いて、感じてみて思ったこと。
高齢者医療における負担軽減を目指したい、しかも、未病で、ブログまで書いている私としては、この痛みに我慢させることがいいとは思いません。
やはり、高齢者医療であっても、必要な医療はあります。
ただ、何が必要かをきちんと精査することなくなんでも、かんでも、医療に放り込むというのは、おかしいと考えます。
ただ、その考えは、医療に真剣に向き合う人なら必ず通る道であると思います。
だからこそ、自分がどうやって、医療と向き合っているのかをみることを向き合う事が大事だと思います。