前橋レポートが、介入研究🧪であり、きちんと比較検討されたレポートだったおかげで、かえない部分は、かえないという規制が可能でした。ただ、今回やった、観察研究というのは、僅かにでも、ポイントや事項、要因が変われば、最終的な結果も変わってきます。
今回は、名古屋スタディでなぜ、椿、矢重両氏のような反論をしなければならなかったか、説明にならない内容にならざるを得ないのか?
その部分を皆さんと一緒に考えてみましょう。
そもそも名古屋スタディとは?
今回は、名古屋スタディがなぜ作成されたかを、確認していきましょう。
子宮頚がんワクチン💉による副反応が、どれだけあったのかを、アンケート方式で答えさせた後に、症状を分類し、精査したものです。
このレポートから何が言える?
鈴木氏たちの内容と、矢重、椿両氏の内容を比較するとわかるのは、観察研究というのは、分類や事項そのものを変えられてしまっては、研究の結果がかなり変わってきてしまいます。
まず、矢重、椿両氏の反論を深掘りしましょう。
一旦、結論から。両氏が反論で書いている事は、モデルをこれだという統計的手法で判定は難しいと説明しており、要は、妥当性が低いという事が、読者からも読めてしまうんです。
自分たちの反論により、そう見えてしまう事実は皮肉ですよね。
中身を見てみましょう。
まず、研究期間をなぜ共変量として使ったのか。
なぜ、モデル3を使用したのか?
年齢との相互作用をどう考えていたのか?
健康的なワクチン接種者のバイアスをどう扱っていたか。
多重比較をなぜ調整しなかったのか?
など、論文を読めば、この反論に対する違和感を感じられるはずです。
もちろん、質問をあげればきりはないですが、これが、このスタディの限界値だといえます。
私の考え
なぜ、私が統計学的手法の専門用語をそのまま使ったかについて。
まず、このスタディは、観察研究であるということが大前提になります。
実際のところ、このスタディは、非常に怖いものを内部に抱えています。
何かというと、観察研究だからこそ、介入する部分がないからポイントや事項などを簡単にかえれてしまうからです。
介入研究との違いは、ここにいきつきます。
介入研究は、比較する部分以外は、変えません。以前、取り上げた前橋レポートみたいに、介入研究であれば、変わるところは変えますが、同じ部分やかえてはいけない部分はそのままです。だからこそ、必要なまでに、厳しくされています。
データとして使用されたものは、アンケート方式であり、主観的なバイアスがかかりやすいだけではなく、今回は同じことを見ているのに、ポイントや使う統計学的手法が事なってきます。
なので、同じ名古屋スタディでも、見るべき視点や使うべき事項や環境がかわれば、結果が変わってしまうということがいえます。
よって、矢重、椿両氏の反論は、半ば、自分たちがしていた様々な統計学的手法や見てきた事項や視点によって、鈴木氏が出した結論とは異なり、しかも、その内容の妥当性すらも危ぶまれることを、自分たちの試験の結果から、自分たちの反論の説明から、証明しているように見えてしまう事が、推測されます。
統計学的手法は、その専門家でも、使いこなす事が難しい😓のが事実です。
医歯薬系の専門でない人が使うとなれば、その正しさは、曖昧になります。
数字だけではなく、その結果の有意性なども、医学的な重みとは、意味を異とします。
その事も含めると、今回の名古屋スタディがどれだけリスクを抱えているかわかるのではないでしょうかか?
いろいろ書いてきましたが、今回は、内容を少し簡潔にしてまとめました。椿、矢重両氏の反論から見える、名古屋スタディの怖さについてでした。
それでは、また。