薬剤師Rasの考え

薬剤師として感じたことを書いています!

私が病院で仕事をして感じたこと

おはようございます。

ここ最近、ネタがなくなったのかブログに向き合っていけてないと思いますが、お許しを。

今回の件は、今までにも何度か書いていたであろう、コロナ禍においての話ではありますが、コロナ禍で偏見や差別の要因になったであろう実情について、五類に下げる移行期間に入ったことから書いていきたいと思います。

医療関係者同士の歪み合いを作り出したコロナ対応

そもそもですが、新型コロナウイルス感染症は、本来なら、2類疾患ですので、普通の一般の医療機関では診ることはできません。

しかしながら、当初から感染拡大がかなりの速さで起こり、特定の医療機関または指定の医療機関だけでは対応が難しくなり、普通の一般的な医療機関に対して、コロナ対応を強いるようになりました。

そのために、本来ならしなければならない外来診療や入院管理などがどんどん追いやられていく結果になりました。

人手が足らないため、普通の病院では、院内のあらゆる人手をコロナ対応病棟に押し込めました。

しかしながら、普段の仕事もして、コロナ対応もしている看護師さんが、普段の場所に戻ってきた際、言われのない差別や偏見を、他の医療関係者から言われるようになりました。

コロナ対応もし、普段の仕事もする。

一人二役を求められたとはいえ、ものすごく大変なことをしているのに、差別や偏見の対象になる。ありえません。

中途半端なコロナ対応を引き受けたために、起こった差別や偏見

もちろん、私達医療関係者同士なら、内輪の人たちの頑張りを知る機会には、痛いほど恵まれていますが、かたや、外部の方からは、そのようなことは、全く見えてきません。

ですから、全部の医療機関で同じような対応が可能だと考える方が、やはり一定はいると考えて対応が必要です。

しかしながら、本来なら、しなくても良い対応を国の方針により、五類疾病に移行せずに、いろんな病院に、コロナ対応を求めた結果、何が起きたでしょうか?

患者さんやその家族からの苦情です。

ここから先は、次章にて書いていきます。

クラスター…薬剤師とし向き合った一カ月

もう、4月ですから、三カ月も前の話にはなります。ただ、この話は、他の医療関係者でも、理解できる話では無いかと思います。

私の職場の病院は、2022年の年末から一月、二月の中旬まで、クラスターになりました。

幸い、一部の病棟のみの被害で済みましたが、この期間に亡くなられた方がいました。

もちろん、新型コロナ感染はしたけど、解除した後で亡くなった人もいましたし、解除前に亡くなった人もおられました。

しかしながら、その患者さんの既往歴を考えると致し方なく、コロナにより亡くなられた可能性はあるかもしれないが、断言はできないなど、家族への説明に苦慮した事案がありました。

この時に、周りからの風評被害を一番に恐れていました。

そうでなくても、私の職場で預かっている病院の患者さんは、易感染性患者がほとんど。

一部の病棟限定で、止まったのは、ありがたかったが、それだけでは終わらないのが、クラスターになった現場の実情だと感じました。

五類疾患に移行…遅すぎた転換

中途半端なコロナ対応を一般病院に押し付けた施策から打破することができなくなり、この5月に五類疾患に移行を決めた、岸田内閣。

三年という月日をどう認識しているのか、考えを伺いたいと感じています。

その一方で、五類疾患に移行した事で、安堵した事があります。

それは、今までのような中途半端なコロナ対応を二度と求められることが無くなり、一律に医療機関に対応が求められることになったからです。

本来なら、二年前には五類疾患に移行しても良かったはず。それが、今になったことに、私は違和感を感じています。

なぜか、それは、外部からの言われ無き差別や偏見を受けた医療機関と、そうでない医療機関が混在することで、対応をしなくても大丈夫と考える医療機関、逆に対応したらお金になる、補助金をもらえると言う事でコロナ特需で潤う医療機関と、その谷間で苦しむ医療機関の3つの立場が出てきたからです。

それらの不公平が起きたことで、より苦しむ医療機関、より得をする医療機関と分岐することになりました。

ただ、これからは、それらの不公平をなくしていく事で、それぞれの医療機関の根底部分が、明らかになっていくと考えます。

もう、感染を考えるべきではない…新たな転換期へ

五類疾患に移行することで、よりいっそう、コロナ対応の本質を考えるきっかけが見え出しました。

私は、コロナ対応で辛い経験をしましたから、感染が悪いのではなく、感染したことで何が犠牲になったか、それをどう防げるか、そこに焦点を合わせるべきです。

これから先、感染そのものへの対策は変わらずとも、新たな転換期を迎えるつもりで、いく必要があると感じます。

これが、私の思いです。