こんにちわ。
今回は、多様性のあり方について考えていきたいと思っています。
何をもって多様性というか?
今、日本では、海外に追従する形で、LGBT法案が可決されたりといろいろあります。
ただ、この法案は、かなり中身の吟味が不十分であったということで、自民党内でも、議論が紛糾しているという事が、報道されて久しくなりました。
ただ、この多様性ということを考えるにあたり、一つ言わせてください。
どういう基準で、多様性というのか?を考えてほしいということ。
みんなが、てんでばらばらだと話になりませんからね。
多様性という権利を持つ意味
LGBTの件で、たくさんの苦情が寄せられてくることが予想される銭湯や、露天風呂。
ドラーグクイーンなど、個性を開花させる場である舞台や施設。
その他いろいろ、多様性が見え隠れするであろう部分が見えてきたのではないか?と思っています。
多様性をいかに発揮するか?を考えた時、その当事者は権利を主張すると思っています。
ただ、多様性を追求する権利を行使したとして考えた場合、周りに思わぬ波及が予想されます。その時に、周りからの非難や圧力に対して、謙虚にいられるかが問われていると考えています。
多様性を行使する権利とその義務
多様性をいかに行使するか?そこに意識を向けることができるスマートさが必要だと思います。ここでは、義務と言い換えて記述します。
多くの人たちも、よく口うるさく言われたことありませんか?
権利を主張する前に義務を遂行しろ。
この思考が、多様性においても必要になります。
男性でも、男性が好きな方がいるとします。
もちろん中には、性器の除去をし、きちんとした女性の身体に生まれ変わった方が来店するでしょうが、性器そのままで、精神的に女性の方だった場合、その方が、女性側の更衣室の使用、湯船につかれるでしょうか?
性器がある以上、男性にしか見えないんです。という事は、それ専門の銭湯か、期間限定で使える場合の銭湯など、場所を選択することが、義務として存在します。
周りに対する認識や、周りに波及する影響を最小限にする努力が、義務として存在します。
権利を主張するのはいいですが、義務を遂行して下さい。
以上で、いろいろ感じていたので、その1として終わりとさせて下さい。それでは。