おはようございます。
Twitterをしていれば、『#3.11を忘れるな』と呟けるのですが…、私はブログ以外しないので、この記事で、いろんな事実を踏まえて書いていきたいと思います。昨日でしたね…。
東日本大震災と阪神淡路大震災
日本で、平成の三十年間でまさか大きな地震になん度も会うなんて、私たちは思いませんでした。2002年の12月17日、私は12歳を迎えていましたが、その日に、平原綾香さんが、ジュピターでデビューし、一躍時の人になりました。
しかし、その次の年に、中越地震が起き、何度となくジュピターの曲が繰り返し聴かれていた事は、思いでに残っていると思います。
平成の初期、1995年に阪神淡路大震災が起きました。私たち世代は、実際に小さい身体に刻まれたであろう地震の記憶の重みを理解していなければなりませんでした。
しかしながら、2011年、私が浪人生の時に、東日本大震災がおきました。
地震の震度が違うだけで…生死を分けた事実
阪神淡路大震災の時、私の地元である兵庫県北部の震度は4。かたや、兵庫県南部の神戸市と淡路島北部の震度は、6と7。
という事は、自分が住んでいるところの震度が違うだけで、生死を分けることになるという事。実際、多くの死者が出ましたが、殆どの人が圧死だったと言われています。
私は、地震の震度いかんで生きることも死ぬこともあるという事実に、身震いするしかありませんでした。
地震の怖さと医療のあり方
今回、題にはしなかったのですが、地震の怖さの一番の要因は、医療などのインフラが止まるということです。
特に、阪神淡路大震災では、医療現場で今の災害医療に通じる考え方が確立されることになりました。それが、トリアージという考え方です。
すぐに治療が必要な人を助けていく…冷たいようですが、少ない医療資源を無駄なく使うことが災害医療では、最重要事項です。
これから来る地震に対して
東日本大震災や阪神淡路大震災を通して、皆さんが考えなければならないのは、地震などの天災に備える上で、何が必要か?何をすれば、生き存えるのかという事を考え、行動することです。
地震が怖いとか、来て欲しくないとか、いうのは簡単です。
でも、そうなってしまう可能性もあるので、それを踏まえて、行動することが必要であると考えます。宜しくお願いします。