薬剤師Rasの考え

薬剤師として感じたことを書いています!

国民教育、高齢者教育を通して伝えたい事

こんばんは。

今回は、私がどうしても書きたい、書かずに居れないため書いていきたいと思います。

経緯について

まず、私が今回の記事を書く事にした理由。それは、寿命を受け止め、自分の人生を全うした人たちの存在でした。

高齢者福祉や過剰の医療が、いまや問題になっています。

医療を適切に活用、受診することが求められる今、寿命をいかに受け止めることができるか、不要な医療を受けないという事、個々の人生を個々の死生観をもって生き抜く事の必要性を知ること、まずこの部分が欠落しているという事が考えられます。

そこの部分を、何個かの事例をもとに理解を深めていってほしいと思い、記事を書く事にしました。

事例1 お寺の先代住職の場合

私の母は、岡山県津山市の出身であり、私の祖母のお墓は、あるお寺に永代供養してもらうお墓になっており、お寺の境内にあります。

そこのお寺が、永代供養を始めた時に、ちょうど親戚間でのいざこざがあり、その話を祖母が聞きつけ、相談したことが、このお寺とのご縁の始まりです。

このお寺の先代住職さん。

私もお墓参りの関係で数回、家族とお寺に参った折、何度か、離れで作業をされている姿や、わざわざ出てこられ挨拶されるなど、元気そうに見えたこと数回。

ただ、残念ながら、幾度も病に阻まれ、そのたびに再起されながらも、去年の暮れ、80代で最期を迎えられた。かなりやり手であったことは、話に聞いていたが、僧侶の最高位を贈位されたのを聞いて、驚きと共に、納得した。

今回、焦点を当てたいのは、その最後の迎え方です。

実際、嚥下能力も低下、食欲も低下しており、かなり衰弱が進んでいたそうです。事実、この状態になっている患者を多く見てきた私は、胃瘻や経管栄養になると感じていました。

しかしながら、先代は、これも寿命と受け入れていたそう。よって、医療介入を自ら拒否の意志を示したのです。

もちろん何もしないので、衰弱は坂道の下りの如く進みます。しかしながら、寿命として受け入れ、最期を迎えられたと言うことです。

事例2 90代でも生き生きし、人生を謳歌した女性

こちらの女性は、私の地元で、母の気心しれた友人の義理のお母さんにあたる女性でした。

友人は、嫁いできた身とある事で、このお母さんとは、剃りが合わず、それでも40年我慢してきたと言うので、義母が亡くなった時は、呆気に取られたと言われていました。

このお義母さんも中々でして、90代になっても、ギリギリまで旅行を楽しみ、趣味にこうじておられ、人生そのものを謳歌していたようです。医療に頼られた時には、癌の全身転移がわかり、治療するしないの話をする間もなく、亡くなられたとお聞きします。

この方のように、病が見つかった後急速に進んだだけではなく、人生をやり切ったような状況で亡くなられたので、医療介入なく逝けたことは幸せだと思います。

今回の記事でいいたいこと

まず、私が言いたいのは、ピンピンコロリで亡くなる事の必要性、家族が見れないような状況にならない本人の努力の必要性、そして、寿命を受け止めて、医療介入をするかしないかを、本人に決めさせ、家族がそれに従うことなど、これからの日本で、適切に医療を利用するために必要なあり方などを含めた啓蒙が必要だということです。

家族が見れない状況の最後の砦が、療養型病院ではありますが、先細り必須の状況であり、難しい舵取りが求められてきています。

ただ、形態を変えることは簡単ではないということは、事実です。

そういう事も含めて、今後の医療費のあり方や、医療そのものを考えていく必要があると思います。

以上です。