こんばんは。
いろいろ考えることがありまして、記事が遅くなりました。今回は、高齢者医療や現在叫ばれている高齢者に対する拘束の是非、生前の意思決定など、盛りだくさんで記載していきます。
高齢者医療における高齢者に対する拘束の是非
まず、高齢者医療において、その切実な思いを聞いたことはありますか?
高齢者は、認知機能低下に伴い、たくさんの脳機能に障害をお持ちの場合がほとんどです。
実際、医療拘束についての現状を理解するために、まず、こちらの報告をお読みください。
https://www.wam.go.jp/wamappl/bb05Kaig.nsf/0/842faf619ff7dbee492570dc0023a07f/$FILE/5-12_2.pdf
こちらは、高齢者医療だけではなく、福祉介護の現場も含めての報告になります。
今回調査期間が少ないため、そのままデータを鵜呑みにできないが、現状、拘束をしないという方向性で、医療も介護も向かうようにされている。
しかしながら、この拘束なしという体制を作り出す環境や体制というのが、一般的かというとそうではないんです。
それは、身体拘束率が低いということは、患者を選んでいる。または、ある程度の人員を安定的に持てているかのどちらかでしかないからです。
介護施設では、かなり拘束なしで対応されている方が多いです。ただ、人員不足に拍車がかからない状況より、残念ながら、拘束するしかない状況です。
皆さんは、身体拘束を含めた医療の現場の状況を理解しているでしょうか?
高齢者に対する拘束について、その是非をもしよければコメントでお願いします。
生前の意思決定のあり方について
死を目の前にした時もそうですが、まず、疾病に罹患した時に、皆さんはどう思うでしょう?
まず、生前の意思決定って既に始まっているんですよね。
まず、治療の選択。これは、医師により提案を聞いて考えたり、治療の選択を決定して、治療を遂行することです。
次に、治療をやめる選択。
実は、この治療をやめる選択が、生前の意思決定として焦点になっています。
治療をやめる。これに、敗北感を感じる医療関係者がいるのは事実です。
しかしながら、治療をし続けても、効果を望めない状況のままいるのは、当人にとって苦痛だと思うんです。
無論、そうならないために、生前の意思決定が必要である訳ですが、なぜか前行きしないんですよね。
その理由として挙げられるのは、死や病気を概念でしか理解できていないことです。
自分たちの身に降りかかってくる現実だという認識がありません。残念ながら、今の国民が、理解しているとは思えない。
高齢者医療にお金がかかっている。現役世代が大変な思いをしている。はて?
高齢者でも、現役世代として日々の業務に向き合っている方や、自分の趣味に興じている方もいます。
そういう人たちに、医療費がかかっているわけではないのです。
あくまで、寝たきりや長期的に介護や医療の助けを必要とする人たちに、医療費がかかっています。
それをわかった上で、寿命を受け入れるための支援を医療関係者の方々しなければいけないと考えます。
この度、Twitterのフォロワーで、出版社の方にフォローされたのもあり、広く知ってもらうために、私自身が執筆することも踏まえて考えて行きたいと思っています。
ブログでの、啓蒙活動に今は力を入れていきたいと思っています。
以上です。