薬剤師Rasの考え

薬剤師として感じたことを書いています!

ここ最近、私自身が感じた事

こんにちわ。

薬剤師として、地元の病院で働いて早くも、今年で2年になります。

今回は、少し私自身が、最近感じていることを書いていきたいと思います。

不安材料や批判をするなら、解決策や提案を添えるべき。

まず、病院の経営のあり方に対し、不安材料や批判が、経理担当の事務から発言がありました。

経理というのは、病院や薬局、診療所を含む民間企業や公立の機関でも、重要性が高いものがあります。

お金💰の流れ、何にコストがかかっているのかという事が、一目瞭然にわかる状況です。

だからこそ、今の利益率が悪い、出ていくお金が出ていく事に、怖さを感じている気持ちは、わかります。

ただ、だからといって、単なる不安材料や批判を議題にあげ、改善策や解決策を提示しないのは、いかがなものか?と感じます。

高齢者教育や国民教育のあり方について。

今、高齢者教育第六弾まで記載が終わっているブログ。広く知られて、海外進出したのは、嬉しかったです。

しかしながら、このブログを勝手に晒した人がいるのは、紛れもないことです。

広く知られて嬉しかった反面、高齢者教育や国民教育のあり方を、本当に理解してもらうためには、もっと深い認識をしてもらう、ようは、自分事にしてもらう事が必要です。

概念で、理解するだけでは足りません。

海外の高齢者のあり方も学びながら、日本でできる高齢者や国民の死生観の醸成も必要だと思います。

この高齢者教育や国民教育をより多くの人に理解してもらうために、これからも向き合って、記事をしっかり書いていきたい。

高齢者教育 第六弾 高齢者に対する拘束と生前の意思決定

こんばんは。

いろいろ考えることがありまして、記事が遅くなりました。今回は、高齢者医療や現在叫ばれている高齢者に対する拘束の是非、生前の意思決定など、盛りだくさんで記載していきます。

高齢者医療における高齢者に対する拘束の是非

まず、高齢者医療において、その切実な思いを聞いたことはありますか?

高齢者は、認知機能低下に伴い、たくさんの脳機能に障害をお持ちの場合がほとんどです。

実際、医療拘束についての現状を理解するために、まず、こちらの報告をお読みください。

https://www.wam.go.jp/wamappl/bb05Kaig.nsf/0/842faf619ff7dbee492570dc0023a07f/$FILE/5-12_2.pdf

こちらは、高齢者医療だけではなく、福祉介護の現場も含めての報告になります。

今回調査期間が少ないため、そのままデータを鵜呑みにできないが、現状、拘束をしないという方向性で、医療も介護も向かうようにされている。

しかしながら、この拘束なしという体制を作り出す環境や体制というのが、一般的かというとそうではないんです。

それは、身体拘束率が低いということは、患者を選んでいる。または、ある程度の人員を安定的に持てているかのどちらかでしかないからです。

介護施設では、かなり拘束なしで対応されている方が多いです。ただ、人員不足に拍車がかからない状況より、残念ながら、拘束するしかない状況です。

皆さんは、身体拘束を含めた医療の現場の状況を理解しているでしょうか?

高齢者に対する拘束について、その是非をもしよければコメントでお願いします。

生前の意思決定のあり方について

死を目の前にした時もそうですが、まず、疾病に罹患した時に、皆さんはどう思うでしょう?

まず、生前の意思決定って既に始まっているんですよね。

まず、治療の選択。これは、医師により提案を聞いて考えたり、治療の選択を決定して、治療を遂行することです。

次に、治療をやめる選択。

実は、この治療をやめる選択が、生前の意思決定として焦点になっています。

治療をやめる。これに、敗北感を感じる医療関係者がいるのは事実です。

しかしながら、治療をし続けても、効果を望めない状況のままいるのは、当人にとって苦痛だと思うんです。

無論、そうならないために、生前の意思決定が必要である訳ですが、なぜか前行きしないんですよね。

その理由として挙げられるのは、死や病気を概念でしか理解できていないことです。

自分たちの身に降りかかってくる現実だという認識がありません。残念ながら、今の国民が、理解しているとは思えない。

高齢者医療にお金がかかっている。現役世代が大変な思いをしている。はて?

高齢者でも、現役世代として日々の業務に向き合っている方や、自分の趣味に興じている方もいます。

そういう人たちに、医療費がかかっているわけではないのです。

あくまで、寝たきりや長期的に介護や医療の助けを必要とする人たちに、医療費がかかっています。

それをわかった上で、寿命を受け入れるための支援を医療関係者の方々しなければいけないと考えます。

この度、Twitterのフォロワーで、出版社の方にフォローされたのもあり、広く知ってもらうために、私自身が執筆することも踏まえて考えて行きたいと思っています。

ブログでの、啓蒙活動に今は力を入れていきたいと思っています。

以上です。

高齢者教育 第5弾 社会的依存と社会的自立

こんばんは。

高齢者教育も佳境に入ってきたかなと感じてきましたが、読まれている方ありがとうございます。

今高齢者でなくても、いずれ老いて行く訳ですから、今から考えることは大事だと思います。

今日は、どうしても考えてほしい部分があり、記事にしました。

今の高齢者の実情について

みなさんには一度考えてみてほしいのですが、社会的依存と社会的自立をどのように考えていますか?

社会的自立している人のイメージとして、周りから多少の支援や協力を享受しているが、ある程度は、自分で生活を賄えるという状況だと思います。

社会的依存している人のイメージとして、周りからかなりの支援や協力を享受している、自分で生活を賄えていないという状況だと思います。

今の高齢者世帯や高齢者を支援している家族を見てみてどうでしょうか?

まず、この三つのグラフを見てください。

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まず、1番上を見てください。

2016年を皮切りに、一気に高齢化が進みました。ただ、高齢化したとはいえ、実際に、自立して日々元気に活動をしている方がいるのも事実です。

中段、下段にあるグラフを見てください。

男性で、60代では7割であり、70代では5割が活動的に対して、女性で、60代では7割でありますが、70代では、4割に止まっています。

高齢者が増えてきているのに、健康的に社会的自立ができている方が、少なくなってしまうのは、かなり悲しいことです。

女性においては、70代の大半が、確実に、社会的依存に足を踏み入れていることがわかると思うと怖くないですか?だからこそ、社会的自立と社会的依存のバランスがとれた高齢者を私は増やしたいと強く感じました。

社会的依存の立場になるのは、人生の最期!

まず、みなさんには、理解してほしいのですが、なんで今まで、病院から在宅医療や在宅介護にどんどん回してきましたか?

それは、在宅医療や在宅介護の方が、安いし、介護保険があるから、決められた範囲内でサービス受けたらいいと考えられてきたから。

ただ、医療保険を使わないため、介護保険で賄うとなると、自治体によるため財源の関係や、区分の関係で、サービスによる差が出てきます。

残念ながら、在宅介護や在宅医療を継続して行える人手不足が深刻なのもありますが、それ以前の財源が枯渇化していることも問題になっています。

ただ、健康的に社会的自立ができている高齢者はそういう在宅医療や介護の世話になっておらず、家族の手を煩わせる事もないので、かなりお得なんですよね。

では、社会的依存になるのを、人生の最期に遅らせるためにはどうしたらいいか?

それを、次の章で書いていきたいと思います。

人生の最期に、社会的依存を遅らせるためにできる事。

要は、ピンピンコロリができること。

そのために必要なのは、社会的自立をまず、前期高齢者の段階から目指す事です。

実際は、すでに若い頃からその土台は身につけておかないといけないのかもしれません。

まず、抵抗力。

これは、幼少期にいかに感染症と直に戦う、もしくはきちんとワクチンをしてきたかだと思います。もしくは、薬💊を使わずに済ませてしまう事が、後の耐性を無くす意味でも重要です。

あとは、体力。

病気がちや病弱か、体力が有り余っているかは、仕方ないけど、遺伝的素因が大きく関与しています。そのため、感染症への免疫力による格差も起きることが考えられます。

しかしながら、そこをカバーすることはいくらでもできます。心肺機能や呼吸機能を向上させるために水泳がある訳ですから。

喘息も、水泳でかなり落ち着いたという事も実例で耳にしますし、実際に報告もされています。

気管支喘息に対する水泳の有用性を明らかに /看護学群・風間逸郎教授が卒業研究の学生(卒業生)と報告 | 公立大学法人 宮城大学 - MYU

もちろん、体格や年齢など、揃えておかないと改善が見られないかもしれませんが、おおまかに見ても、水泳が心肺機能、呼吸機能を改善する助けになるのは、明らかであるといえます。

後は、食べ物の好き嫌いですね。

食べ物は、身体作りの基本中の基本であり、それができていない、好き嫌いがある時点で、いろんな意味で、負けています。

実は、体力や抵抗力、免疫力の根本的な部分になるため、幼少期の好き嫌いが大人になって響いてくるとはままあります。

体力や抵抗力、免疫力は、遺伝的素因が強いとはいえ、この部分を補強することは、自分でも可能です。食べ物の好き嫌いは、親の責任にも関わるため、今からしっかり頑張ってほしい。

番外編 食べ物の好き嫌いと生活習慣病のリスク相関について

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjtehpe/9/0/9_jjtehpe.9.13/_pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshhe/74/6/74_6_279/_pdf

https://www.jsph.jp/docs/magazine/2002/05/49_05_0447.pdf

こちら以外にも、たくさん食べ物の好き嫌いと生活習慣病のリスクは相関性があることが、報告されています。

現実的に、きちんと好き嫌いなく食べれている人は、今の世の中少ないのではないか?と思います。しかしながら、遺伝的素因からの脱却を図れるとしたら、この部分にしか、助けられる事がありません。社会的自立を目指すならば、この部分にまさに気をつけ、目を向けた生活習慣を身につける事が必要ではないでしょうか?

感染における顕性感染と不顕性感染 皆さんに言いたい事

おはようございます。

今日は、少し国民の皆様にきちんと理解して頂きたい事項があります。

この件は、薬剤師国家試験特化ブログにも参照記事として添付します。

不顕性感染と顕性感染について

まず、国家試験を受けたことがある医療関係者なら誰でもわかる話ではないかと思います。

まず、顕性感染について。

簡単に言えば、表面に症状が出ている状態の感染。この状態は、かなり感染力が強くなっています。

次に、不顕性感染について。

簡単に言えば、感染はしているが、症状では出ていない。が、知らないうちに免疫が出来上がっている状態の感染。

この状態は、感染力がかなり弱い。

実際、この状態で感染した人たちが、今や、コロナ感染では当たり前になっています。

不顕性感染を通して集団免疫を作る作戦だった。

北欧や欧米では、不顕性感染者が大半を占めていたこともあり、集団免疫を作ろうとしました。しかしながら、それが、失敗しました。

なぜかというと、同時期に、イタリア🇮🇹の惨劇が見られたからです。

不顕性感染者よりも、顕性感染者の割合が多くなったために、同様の惨劇を繰り返さないように、方向転換をしたということです。

不顕性感染より顕性感染が大半になってしまった理由

これは、イタリア🇮🇹の惨劇から考えたいのですが、なぜ、不顕性感染より顕性感染が大半になってしまったのでしょうか?

真相はわかりませんが、推測されることは、二つあります。

まず、栄養状態。

特に、明治初期から戦中までは、栄養状態があまりいいとはいえなかった。衛生面も良くなかったために、不治の病と言わしめた結核が大流行しました。若くして亡くなる方が多かったと思います。

時代を元に戻しましょう。イタリア🇮🇹の高齢者の栄養状態について見ていきましょう。

医学文献検索サービス -メディカルオンライン

まず、イタリア🇮🇹の高齢者の栄養状態は、かなり低い状態であるという事がわかります。

挙句、入院時の状態もかなり悪いとなると、30日間で悪化の転帰に至るとされます。

もし、このような状況中で、コロナが感染したらどうでしょうか?

栄養状態がかなり悪いので、免疫力も低下していますよね。という事は、不顕性感染どころか顕性感染が大半になるという惨劇になりはしませんか?

後は、生活の質、ADLの低さも免疫力の低下に相関性があります。

日本でも、顕性感染が増えた要因はここにも、問題があったからです。

高齢者の医療を考える前にすべきこと

不顕性感染を通して集団免疫を作れなかったのは、高齢者の生活環境や栄養状態の劣化が1番の要因だと考えます。

私が、高齢者教育や、国民教育をしているのは、他でもなく、不顕性感染を増やして、顕性感染を減らす、そのためには、自立した状況で、家族の手を煩わせない人である必要があります。

栄養状態や生活の質や環境を整えるだけでも、不顕性感染を増やすことにつながると思います。顕性感染が増えた事で、さらに感染者が増えたこと。それが、生活の質や、栄養状態の悪化による可能性も含めて、私たちは、考える必要があるとおもいます。

以上です。

国民教育 第三弾 適切な薬物治療へのあり方

おはようございます。

国民教育 第三弾は、今の医療現場の薬💊不足から適切な薬物選択をすることの重要性と、必ず薬剤師に相談する姿勢を身につけることについて書いていきたいです。

風邪🤧に抗菌剤を使用しないで!

抗菌剤の供給が、いよいよ危ぶまれるようになりました。塩野義のフロモックス、他社のホスミシンなど、出荷調整が相次いでいます。

これまで、何度も何度も繰り返し言われていたと思いますが、抗菌剤の適正使用が、なかなかされていません。都会では、ある程度検査をするなどして、適切に対応していると思います。が、地方での医療機関では、認識が古いままの方がいるのが、現状だと思います。

繰り返しになりますが、風邪は、インフルエンザ同様に、ウイルス性疾患であり、細菌ではないです。そのため、抗菌剤の使用は効果がありません。

漢方を使うことも必要

まず、医療用漢方だけではなく、実際に、ドラッグストアに行かれたらわかると思います。

脂肪燃焼を謳っているナイシトールは、防風通聖散のことなんです。

漢方の成分で、注意が必要な部分もあります。そのため、簡単に話をすること、提案は憚られるのですが、適切に使用すれば、問題がないこと、効果の出方がものによるため、個々に合わせやすい特徴があります。

簡単な例に、葛根湯があります。

葛根湯は、よく風邪の引き始めに使用することがよく知られています。

抗菌剤を風邪に使うのではなく、葛根湯などの漢方を使用する方が、抗菌剤を使用していないので、必要なところに行きやすくなります。

薬剤師を適切に利用する姿勢の形成

眼科や耳鼻科、歯科など、専門的にきちんと見てもらう必要が高い診療科や、慢性疾患などの対応に苦慮する診療科などがあるように、それぞれ診療科毎の特徴があります。

ただ、なんでもかんでもを、医師に頼りすぎていることも事実。

薬剤師に、状況把握をさせ、受診勧奨させるのは、難しい事ではありません。

今回、私は、Twitter上ではありますが、葛根湯を勧める事ができました。

現状把握は、よっぽど複雑化しなければ、わかりやすく簡単な話です。

それすらもしない、薬剤師がいるのなら、申し訳ないけど、やめてほしい。

とにかく、薬剤師に頼る訓練をしっかりやってほしいです。以上です。

追記

私は、一般人に対して、医療相談は受け付けていません。相手が、明らかに医療関係者、または、医療系学生の場合に限り相談に乗るというスタンスをしています。

今回の場合は、相手が医療関係者であることを加味した上で、対応させて頂きました。

確かに、証を見ずにどうしてできるんだと言われるのは、わかりますが、お相手が、1番自分の状態を理解している訳です。もし不安なら、再度薬剤師に相談するなり、対応はできると思いますので、そのつもりで。

国民教育、高齢者教育を通して伝えたい事

こんばんは。

今回は、私がどうしても書きたい、書かずに居れないため書いていきたいと思います。

経緯について

まず、私が今回の記事を書く事にした理由。それは、寿命を受け止め、自分の人生を全うした人たちの存在でした。

高齢者福祉や過剰の医療が、いまや問題になっています。

医療を適切に活用、受診することが求められる今、寿命をいかに受け止めることができるか、不要な医療を受けないという事、個々の人生を個々の死生観をもって生き抜く事の必要性を知ること、まずこの部分が欠落しているという事が考えられます。

そこの部分を、何個かの事例をもとに理解を深めていってほしいと思い、記事を書く事にしました。

事例1 お寺の先代住職の場合

私の母は、岡山県津山市の出身であり、私の祖母のお墓は、あるお寺に永代供養してもらうお墓になっており、お寺の境内にあります。

そこのお寺が、永代供養を始めた時に、ちょうど親戚間でのいざこざがあり、その話を祖母が聞きつけ、相談したことが、このお寺とのご縁の始まりです。

このお寺の先代住職さん。

私もお墓参りの関係で数回、家族とお寺に参った折、何度か、離れで作業をされている姿や、わざわざ出てこられ挨拶されるなど、元気そうに見えたこと数回。

ただ、残念ながら、幾度も病に阻まれ、そのたびに再起されながらも、去年の暮れ、80代で最期を迎えられた。かなりやり手であったことは、話に聞いていたが、僧侶の最高位を贈位されたのを聞いて、驚きと共に、納得した。

今回、焦点を当てたいのは、その最後の迎え方です。

実際、嚥下能力も低下、食欲も低下しており、かなり衰弱が進んでいたそうです。事実、この状態になっている患者を多く見てきた私は、胃瘻や経管栄養になると感じていました。

しかしながら、先代は、これも寿命と受け入れていたそう。よって、医療介入を自ら拒否の意志を示したのです。

もちろん何もしないので、衰弱は坂道の下りの如く進みます。しかしながら、寿命として受け入れ、最期を迎えられたと言うことです。

事例2 90代でも生き生きし、人生を謳歌した女性

こちらの女性は、私の地元で、母の気心しれた友人の義理のお母さんにあたる女性でした。

友人は、嫁いできた身とある事で、このお母さんとは、剃りが合わず、それでも40年我慢してきたと言うので、義母が亡くなった時は、呆気に取られたと言われていました。

このお義母さんも中々でして、90代になっても、ギリギリまで旅行を楽しみ、趣味にこうじておられ、人生そのものを謳歌していたようです。医療に頼られた時には、癌の全身転移がわかり、治療するしないの話をする間もなく、亡くなられたとお聞きします。

この方のように、病が見つかった後急速に進んだだけではなく、人生をやり切ったような状況で亡くなられたので、医療介入なく逝けたことは幸せだと思います。

今回の記事でいいたいこと

まず、私が言いたいのは、ピンピンコロリで亡くなる事の必要性、家族が見れないような状況にならない本人の努力の必要性、そして、寿命を受け止めて、医療介入をするかしないかを、本人に決めさせ、家族がそれに従うことなど、これからの日本で、適切に医療を利用するために必要なあり方などを含めた啓蒙が必要だということです。

家族が見れない状況の最後の砦が、療養型病院ではありますが、先細り必須の状況であり、難しい舵取りが求められてきています。

ただ、形態を変えることは簡単ではないということは、事実です。

そういう事も含めて、今後の医療費のあり方や、医療そのものを考えていく必要があると思います。

以上です。

高齢者教育 第四弾 寝たきりにならないために

こんばんは。

ここ最近思うことがあり、ブログから離れている事が多く、更新が滞っていました。

今日書いていくのは、私自身が最近、院内で耳にしたある一言がきっかけになりました。

この一言については、別途記載したいと思いますが、今回は、『寝たきりにならないために』と題して書いていきたいと思います。

寝たきりになる高齢者が増加傾向

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こちらは、厚生労働省の前身である旧厚生省のグラフになります。恐ろしい事が、来年には、寝たきりの高齢者が500万を軽く超すという予想が既になされているという事。

そのため、自分の足で立て、頭もはっきりして自立している高齢者が、かなり稀な存在になりつつあるという事実が提示されたという事になります。

高齢者医療で過剰な医療行為が問題視されていますが、今の現状をグラフで確認できる心の余裕があれば、怒り心頭にはならないはずです。

寝たきりの高齢者その割合について

まず、前章のグラフを見直してみましょう。

1番多い割合を占めているのは、『虚弱高齢者』というカテゴリに入る高齢者たちです。

虚弱高齢者というのは、いわゆるフレイルや、ADLが低い高齢者を指すことになります。

次に多いのは、寝たきりの高齢者です。

すでに既往歴があり、寝たきりになった方や、高齢にともない徐々に老衰から寝たきりになった方など考えられます。

ただ、こちらの方がかなり厄介であるということがはっきりしています。

なぜなら、既往歴のほとんどが、心臓疾患や、脳疾患であり、一発あたりが悪ければ、死または寝たきりになる可能性が段違いに高いからです。

そうならないためにどうすべきか、虚弱高齢者にならないためにどうすべきか考えていきたいと思います。

虚弱高齢者に向けての対策

まず、自分が虚弱かそうでないか?をしっかり考えてみてください。

もし、健康に不安が少しでもあるなら、この対策を必ずしてください。

まず、フレイルになっている根本原因を理解しましょう。

フレイルは、精神的、社会的、肉体的にかなりリスクがある状態を表す言葉です。

特に寝たきりになりうる可能性として、肉体的なリスクを持っていることが考えられます。

まず、高齢者を栄養学的に健康に持っていくためにどうすべきかを、家族または医療者は考え無ければなりません。

高齢者にできる事としては、筋肉をつける事、まずは、栄養のつくものをしっかり摂取しましょう。これだけでも、フレイルに近づかずにすみます。

既往歴による寝たきりを抑制するための対策

まず、厳しいようだが、はっきり言わせてください。なぜ、既往歴で寝たきりになったか、要因に身に覚えがあるか?それがないなら、悪いけど、医療機関に来ないで頂きたい。

寝たきりになった患者を、家族が見れないのは仕方ない。ただ、私に言わせてもらえれば、医療関係者には全く関係がない。なぜなら、それは、施設に入所させるなり、在宅サービスなり対応の仕方があるからです。

医療関係者、医療機関にお世話になるのなら、家族と患者が今生の別れになる可能性がある事、寿命を受け入れる事、親の病気の現状や、寝たきりになった要因についてきちんと認識している事が、前提になります。

既往歴を持つことになった生活習慣歴や、嗜好品、患者の現状をきちんと理解し把握する努力を繰り返しする事が家族に必要。

家族が寝たきりになった患者に対して、寝たきりにならないでというのは、噛み合っていないという事になります。

患者の状況を正確に把握し、理解する力がない家族は一定数います。

だからこそ、既往歴の理解がしっかりしている寝たきりになった理由がしっかり認識されている家族がありがたいのです。

遅くなりましたが、対策はただ一つ。家族の方に対して、生活習慣を改善してもらう。患者の現状を見ているのなら、こうなりたくないはず。当たり前だが、親の次に老いるのが、自分たちなんだから、気をつけて頂く、機会にして頂きたいと思います。